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アトム(''Atom'' )はヒュッティヒで1906年頃開発され〔『現代カメラ新書No.3、世界の珍品カメラ』pp.82-85「近代的感覚のカメラ続出」。〕て発売され、イカ、ツァイス・イコンに引き継がれたカメラである。 ロールフィルム普及前に最小フォーマットであった4.5×6cm写真乾板を使用し、名称もそのことに由来する。このカメラが高い評価を受けたため〔『発明の歴史カメラ』pp.74-77「金属製精密カメラへ移行」。〕4.5×6cm乾板は大正時代に〔『クラシックカメラ専科No.22、アイレスのすべて/アトム判カメラの世界』pp.52-54。〕「アトム判」と呼ばれるようになった〔『現代カメラ新書No.3、世界の珍品カメラ』pp.62-63。〕〔〔。ただしこのフォーマットを使ったのはアトムが最初ではなく、少なくとも1902年発売のゴーモン製ブロックノートがある〔。 ボディーは小さい〔がボタンを押すだけ〔で複雑な金具により〔レンズ前板を起立させる〔〔、いわゆるスプリングカメラの走り。ファインダーも本体に折り畳まれるなど、先進的な構造である〔。原版が小さく引き伸ばしが前提のため高精度に作られ〔、また同時に引伸機が発売された〔『クラシックカメラ専科』p.103。〕。 1909年ヒュティッヒがイカに合同し、イカ・アトムとなった。ドイツでは1923年頃を中心としてハイパーインフレーションが進行し第一次世界大戦前には高価すぎて購入できなかった光学製品が日本でも買えるようになって知られるようになったため、日本では一般にこの「イカ・アトム」という名称で知られる〔。さらには1926年イカがツァイス・イコンに合同してからも短期間ながら引き続き販売されロングセラーとなった。 == 製品 == シャッターはデッケル製旧コンパーまたはコンパウンド。 *アトム51/アトムA(1909年発売〔) - 縦位置用のカメラ〔。レンズはヘクラ(''Hekla'' )6.5cmF6.8、テッサー6.5cmF4.5、ヒュティッヒ・オブジェクティブ(''Hüttig Objektiv'' )9cmF8、ヘリオス(''Helios'' )9cmF8、マキシマー(''Maximar'' )9cmF6.8、ヘクラ(''Hekla'' )9cmF6.8他各種ある。英語のサイトではしばしば"Vertical Version"と呼ばれている〔〔。 *アトム53/アトムB(1910年発売〔) - 横位置用のカメラ〔。レンズはヘクラ(''Hekla'' )6.5cmF6.8、テッサー6.5cmF4.5、テッサー7.5cmF4.5他各種ある。英語のサイトではしばしば"Horizontal Version"と呼ばれている〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アトム (カメラ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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